津波は対抗せずやり過ごせ 名取市・閖上の箱舟構想

”2011年3月11日に起きた東日本大震災か ら早くも1年になる。マグニチュード(M)9.0の巨大地震は津波を誘発。東北地方沿岸部の多くの町が壊滅的な被害を受け、福島第1原子力発電所は深刻な 事故を起こすに至った。多大な代償と引き換えに得た教訓で、安全をいかに再生するか。宮城県名取市の閖上(ゆりあげ)地区では、住民の生命を守る新たなま ちづくりの一案として、「箱舟構想」が浮上している。

2月24日、宮城県名取市の中心部から約7キロほど離れた閖上(ゆりあげ)地区を訪れた。がれきは跡形もなく片付けられ、町中から水平線が見渡せるほどだ。快晴の空の下、見渡す限りの更地にわずかに残った家々の土台がむき出しになっていた。

かつては赤貝の産地として知られ、約6000人、2100世帯が暮らす港町だった。しかし、東日本大震災で人口の1割を超える700人以上が遺体で見つかった。閖上は、今回の津波でもっとも深刻な被害を受けた東北沿岸部の町の1つといえる。

町を襲った大津波の高さは、閖上漁港付近でおよそ8.5メートルに達したという。津波は内陸部までさかのぼり、仙台平野に広がる平たんな町に逃げ場はほとんどなかった。

浜辺から500メートルほどの距離に位置する数少ない高台、「日和山」の高さは約6メートル。その上にあった富士主姫神社は、跡形もなく流されてしまった。

漁港から2キロメートルほど離れた「五差路」にかかる歩道橋では、多くの人々の生死が交錯した。高さ約5メートルの橋桁すれすれまで波が到 達。最上部に上れた20人ほどの人々は九死に一生を得たが、「あと1段、階段を登りきれなかった人は流されてしまったと聞いた」と地元タクシー会社の運転 手、高橋健二さんは話す。タクシーを止めてこうべを垂れた高橋さん自身も、津波で叔母を亡くした。

震災から1年を経てなお、閖上に生活音は戻らない。3人が殉職した名取市消防署閖上出張所、引き取り手が見つからないアルバムや写真が保管 される閖上小学校体育館――どこに行っても奇妙な静寂が支配している。時おり、ダッシュボードに「災害復興支援車両」の標章を掲げたトラックが、乾いた音 を響かせて通り過ぎるのみだ。

東北大学大学院の越村俊一准教授によると、東日本大震災で津波の被害を受けた地域の総面積は561平方キロメートルに達した。

現在、政府や地方自治体、災害に関連する学会などは、「歴史」に解決策を見いだそうと動き始めている。堆積物などを分析することで可能な限り過去に遡って巨大地震と津波のデータを洗い出し、最新のハザードマップなどに反映する試みだ。

従来の災害モデル作りでは、数百年から1000年前後の周期で繰り返しされてきたはずの、東日本大震災クラスの災害対策を十分に織り込んで いなかった。今回の震災後、こうした反省が関係者の間で急速に広まっている。新たに作り直すマップは、災害に強い町づくりに役立つはずだ。

一方、被災地では新しい町づくりに関する議論がようやく始まっている。

国は沿岸部の被災地に対し、津波被害の再発防止を目的とした「高台への移転」を促している。しかし名取市の閖上地区については、移転をしな い「現地再建」の方針が固まっている。8月23日に「名取市新たな未来会議」で市民代表らが市長に提言し、10月11日の市議会で可決された。

「閖上は海とともに栄えてきた。美しい海辺の町を再建したい」。佐々木一十郎・名取市長は強調する。自身も閖上地区出身で、家を津波で流された。

沿岸部にとどまったままで、「流されない町」をどう作るのか。市長が切り札の1つとして考えているのが、船の「へさき」のような巨大な構造物を海岸に設置し、背後に配置した敷地が長方形の居住区を守るアイデアだ。

これまで、国や自治体は巨費を投じて各地に防波堤などを築いてきた。しかし、東日本大震災ではその防波堤が次々に打ち破られ、無力さを露呈した。

佐々木市長は新たなまちづくりで発想の転換が必要と判断。へさきを核とする構想を「津波に正面から対抗するのではなく、受け流す発想」と説明する。

概要はこうだ。「へさき」構造物は海抜20メートル、直径200メートル、厚さ50センチのコンクリート製で原則非居住区とする。全体のお よそ半分ほどが、海岸線から海にせり出す。巨大津波が再び押し寄せるようなことがあっても、まず、へさきの部分が津波と接触し、押し寄せる海水を効果的に 左右にかき分け、後方に流す。

居住区をのぞく内陸部には海水が進入することになるが、「へさき」に守られる形で、後方に控える居住区は津波の直撃を避けられる。居住区自体も3メートル程度かさ上げする見込みで、うまくいけば、居住区に一切海水が進入しないことも期待できる。

東日本大震災の津波では、東北沿岸の多くの建物が流されたうえ、後方の家屋などにぶつかって被害が連鎖的に拡大した。東北大学大学院の越村 准教授は、一帯で流された家屋やビルの構造を解析した結果、「家屋が高さ2メートル程度のコンクリート基礎で建てられていれば、被害をかなり抑えられるは ずだ」と話す。閖上の構想にこのアイデアを組み込むことができれば、町の強度は一段と増すだろう。

へさきを先頭に置いた新しい町づくり案を上空から眺めると、さながら地域の生命や財産を守りながら進水する箱船のようにも見える。「生まれ育った海のそばで復興したい」という住民らの希望と、津波から人命を守るという二律背反を打開するためのプランだ。

構想の中核となるへさき構造物は、単に津波を後方にやり過ごす機能を持つだけではない。閖上の経済基盤である港を守る役目も負っている。

1階層の面積は約3万平方メートルで、東京ドーム1個分ほどにもなる。構造物は3層からなり、最下層に漁港と水産加工施設を「内蔵」する。津波到来時にはコンクリート製の水門を閉じて漁港の出入り口を完全にふさぎ、漁船の流失を防ぐことができる。

完全屋内型の港は、実現すれば日本では初めて。海鳥などの被害を受けにくいため、品質・衛生管理徹底することが可能。危険度分析による衛生 管理(HACCP)認証の取得に有利で、高品質な水産加工物の製造も見込める。市長はその上の2層にアウトレットモールやレストラン、東日本大震災の犠牲 者追悼施設を置く構想も練っている。

この構想を発案したのは、SAKO建築設計工社(東京・中央)の迫慶一郎代表だ。政府が推奨する高台移転では、漁師が内陸地に住み、港へ通 勤することになり「違和感を持った」(迫氏)という。そこで、閖上地区を今の場所で「垂直方向に移動」させるしかないと考え、へさき構造で居住区を守るア イデアを思いついた。

迫氏は、自身のまちづくり案を「東北スカイビレッジ」と名付け、11年8月半ばに模型を携えて名取市を訪れて市長や関係者らに提案。20分ほどの説明を終えると、無言で聞き入っていた佐々木市長が笑みを浮かべて拍手をしたという。

市長は11月28日、住民の代表が参加する「閖上復興100人市民会議」でこの構想を紹介。まちづくり案の1つとして、議論の俎上(そじょう)に載せた。

スカイビレッジは現地復興をする上で、安全性を最大限に高めるよう設計されている。ただ、実現には費用面を中心に課題も多い。

名取市単独で、建設費用を負担するのは難しい。高さなどによって変動はあるものの、へさき部分の総工費は200億後半~350億円程度かか る見込み。一般会計で約250億円(11年度当初予算)の名取市の予算規模をはるかに上回る金額で、名取市震災復興部の渋谷武志次長は「民間からの協力が 不可欠」と強調する。総額約1.8兆円とされている復興庁の復興交付金は、対象が40事業に限られており獲得が困難な見込みだ。水産庁の水産業復興支援事 業なども、被災漁港の「原状復帰」を目的としたものがほとんど。国の財政的支援に頼ることは難しい。漁港を内蔵するため、閖上港の管理組織である県との調 整も必要だ。

心理的なハードルもある。11月28日の「閖上復興100人市民会議」で配布された市民意向調査結果によると、復興後も「閖上地区に住みた い」と答えた人は約25%。「まだ決められない」と回答した人も約24%にのぼった。市は複数回のアンケートを実施し、市民代表との会合を開いて調整を進 めている。しかし現時点では「恐ろしくて住めない、という人がいるのも事実」(佐々木市長)。津波が人々の心に残した傷は深い。

閖上に限らず、津波に被災した町の復興には、課題が山積している。住宅や学校といった生活の拠点なくして復興は進まない。そのため道路や学校などの公共施設や河川堤防の整備、それに伴う宅地の配置換えを含む「区画整理事業」に、多くの自治体が急ピッチで取り組んでいる。

閖上地区について、名取市は3月中の方針決定を目指しているが、土地の所有権を含む問題のためスムーズには進まない。閖上地区で建設を予定している堤防は高さ7.2メートルで、早ければ3月中に着工する見込みという。

スカイビレッジを含む閖上地区全体のまちづくり案は、12年度上半期までにとりまとめる計画だ。先に着工予定の堤防について、「高すぎて景 観を損なうのでは」と懸念する声も上がっている。迫氏は沿岸部の復興について「まず堤防ありきではなく、町全体のイメージの中に安全対策を組み込むことが 必要」と強調する。

佐々木市長はスカイビレッジ構想について「ハードルは高い」との認識を示しつつ、「復興のモデルとなる町を作りたい」と実現に意欲を示す。閖上地区の復興には、およそ7年をかけて取り組んでいく予定だ。

東日本大震災をも上回る規模の津波が、到来するリスクは消えない。しかしこの教訓を復興への力に変えようと、総力を挙げた取り組みが始まっている。

(電子報道部 富谷瑠美)”

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東京は世界最大の都市であり、驚くほど効率的に機能していますが、そこに明確な都市計画があるわけではありません。では何故、東京はこうも多くの人を惹き付け、もっとも便利な都市として存在しているのでしょうか?
今回のRomantic Geographyでは、TOO MUCH2号にも寄稿していただいた建築家/批評家の日埜直彦氏をお迎えし、北区の滝野川、品川区の戸越と言った決してガイドには載らない東京から、原宿や渋谷のような普段歩いている街の知らない側面を、写真とデータを使いながら見ていきます。

バーチャルよりもリアル 震災半年、変わる若者(3)

東日本大震災を機に、瞬く間に全国に広がった共助の精神。その姿は、戦後の焼け野原から驚異の復興を遂げた日本の強固な団結力を世界中に思い起こさせた。人のつながりを大切にする気持ち。それは内向き志向で「草食系」「低温世代」と称された若者世代にも広がりつつある。

建築家の松原独歩(33)は東日本大震災直後、自宅とオフィスがあるJR渋谷駅周辺を半日近く歩き回った。「自分が住む街に何が起こったのか」。無性に自分の目で確かめたくなった。

ネオンが消えた最先端のファッションビルは大きなコンクリートの塊になり、まるで巨大なお墓のように見えた。ふだん元気に街中を闊歩(かっ ぽ)する若者たちは、帰宅できずに駅の広場でじっと座り込んでいた。「新しい文化や技術を生み出す東京の中心」と憧れた渋谷の街は、すっかり姿を変えてい た。

■地に足が着いたつながり

震災前は「にぎやかな街で毎日飲み歩く日々」が楽しかった。だが震災で気づかされた。「自分はなんて表層的な部分にこだわっていたのか」。 華やかに見えた渋谷の街には、励まし合ったり助け合ったりできる一体感が存在しない。松原は自宅の荷物を処分。震災から2か月余り、親戚の家や全国の宿泊 施設を転々とした。「地に足が着いたつながり」を探したかった。

シェアハウスで住人たちと歓談する松原独歩さん(中)画像の拡大

シェアハウスで住人たちと歓談する松原独歩さん(中)

3月下旬、松原は卒業した京都大学のOBや大学院生らと震災後の街づくりを議論するプロジェクトをやろうと呼びかけた。震災後の理想的な生 活を考えるなかで、台所や居間を共用する「シェアハウス」に魅力を感じるようになった。人口減が進む日本で、シェアハウスは高齢者を孤立させず、介護に伴 う財政負担を軽減させる可能性も秘める。「まず自分が住んでみよう」

松原が引っ越したのは、高度成長期に建てられた団地を改修したシェアハウス「りえんと多摩平」(東京都日野市)。学生や社会人80人ほどが 同じ建物で一緒に暮らす。1階に設置した台所で食事を作り、同居人と会話を楽しむ。これまで建築家として構想から建築まで1人で考えてきたが、ここでは同 居人との会話から仕事のアイデアを得ることもある。

If It’s Hip, It’s Here: An Illuminating Book From Bentley Meeker; Light X Design: 20 Years Of Lighting

セレブのパーティーなどを光で演出するNYのアーティストの紹介。キャンドル・ジュンさんてこんな感じの仕事してるのかな。

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特集 建物の揺れとその記録|サービスと技術|大林組
asahi.com(朝日新聞社):写真・図版 - 文化

隈設計「ガレキミュージアム」の予想図=隈事務所提供

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"あのほぼ100が帰ってくる!
『やったね!吉田寮ほぼ100周年祭』
2011/9/24(土)~10/2(日) に開催決定!
企画・イベント大々募集中
"

やったね!吉田寮ほぼ100周年祭 (2011年)

名和晃平×長谷川祐子

サイトの構成うまいなあ。入口だけhtmlと画像にすればへんに引用を避けることができる。写真はボカシとアップばかりで展示空間は想像の範囲にとどめる。

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"なので、僕の個人的な結論としては

「ソーシャルメディアで隠しごとをするのは不可能」

だと思っています。

正確に言うと、自分がプライバシーだと思うものは完全に自分(もしくは非常に親密な仲)に閉じておくべきだし、そうでないのであれば、もうオープンしている情報と同じだと考えたほうがいいわけです。

他の人がいる飲み会にいっている時点で、それを隠せると思うこと自体が変というわけです。"

ほとんどがオープンになるソーシャルメディアの時代での心構え - ロケスタ社長日記 @kensuu

色水が流れる管で東京の地下鉄を再現した3次元模型「東京動脈」(動画) - 涙目で仕事しないSE